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神道

経典がないことから派生するもの

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 たとえば、ある国に旅行したとして、その国がものすごくキリストの教えを体現した国であるなら、そこで出会う人、出会う出来事に聖書の言葉を浮かべてしまうだろう。

 そうしたあとに、旅行から帰ってきてその国のことを動画などで表現したなら、 聖書のフレーズを引用しなからその国での体験を面白く語るという形になる。 つまり、言葉で表現してしまえる。

 もし、その同じ旅行者が日本に来たらどうなるか。 この国はものすごく神道という宗教を体現した国であるのに それを象徴的に表現する言葉(経典の引用) が見つからない。 そうして 動画を作ったなら、言葉では表現できない何かがあった、という表現になる。



 神道は長い時間を経て日本のすみずみにまで浸透している。 しかし、その神道を象徴的に表現するようなフレーズ(言葉) がないので神道のことを簡単に(ステレオタイプに) 言葉にできない。 だから独特な雰囲気(言葉で表現できない何か、空気) が醸し出される。



 外国人が日本に来て、日本人と触れ合い、日本人と戦い している間に言葉にできない何かを感じるようになる。 それこそが神道の片鱗である。

 しかし、外国人も言葉にできないのだから日本人もそのことを言葉で聞くこともない。 だから日本人は外から見たときの神道のことはわからない。

 日本人は沈黙の中で ただ 神道の体現者として存在するのみ。   日本人は神道の体現者として ただ 沈黙と雰囲気の中で存在している。 そこに言葉はない。 命と所作があるのみ。

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外国人に日本文化の核心中の核心とは? と聞かれたら、

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 「日本の核心は神道で、その神道には経典がない、経典がないことが核心中の核心です。」 と答えればいい。


 「じゃぁ 教えを伝えるのはどうしてるの?」 と聞かれれば、体を動かして実践し、行為によって伝えている、と答えればいい。

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 キリスト教圏(イスラム教圏) の外国人が日本に来て伸び伸びできるのは、神どおしの言葉でケンカしたりすることがないから。

 神道には経典がないから外国人が日本に来て宗教面で何か言われることは一切ない。 だから外国人は不思議な伸び伸び感を感じる。


● 外国人 : 「なんだろう、このフワッとした不思議な伸び伸び感は... 」

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 イスラムと対峙する中でキリスト教が人々(キリスト教圏の) を束縛する力が強くなった。 その状況でキリスト教圏の人が日本に来ると束縛から解放されたような気分になる。

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夢枕に神道の神さまが立って、お告げを申された。

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 なんて言う人がいたら それは眉唾ものだ。 神道は経典がない宗教で、神の言葉はないから。

 神道は行為で伝承していく宗教で、神道の経典とは「道」である。

(本居宣長 『古事記伝』 あたりが参考になる)


 「神道には経典がない」 という原点からいろいろな行為が派生している。

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