神道には聖書やコーランにあたるものがない、その代わりに 「道」 がある |
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日本 雑感 |
「道」の中の「型」はルーティーンでありメソッドである。 それが経典の代わりをする。 型を実践し、体験することで(経典を読むように順番に) 体が何かを感じ、何かを体得する。 その体得したものをもって神道の教えとする。 神道はそうゆう発想をする宗教なのである。
それは盆栽であってもいい。 盆栽は単なる造形ではない、盆栽は木々との対話である。 葉っぱや枝を刈る行為の中で自然と対話し、その中で何かを感じ 何かを体得する。 それをもって神道の教えとする。 (盆栽神社あります、木の神を祭っている)
神道とは、そうゆう発想とからくりを持った宗教なのであります。
そもそも 聖書を読んだとしても その内容をどれだけ自分のものにできるかは分からない。 だったら実践から入って そこで掴んだものを真の内容とする。 そうゆう発想です。
投稿者 x3ru9x | 返信 (0) | トラックバック (0)