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‘英語の時制シーケンスまとめ’ を読んで気づいたこと

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http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20100731/1280536823


 英語圏の人は、自分たちの言葉を世界中の人が学んでいる ということを知っているから、英語がロジカルに整理され

わかりやすい規範が示されたなら、それをちゃんと心得ておき、英語圏外の人が来たときは それに合わせるという気持ちがある。


 日本人にはそれがない。 自分たちの言葉を自分たちで再整理し、一番ベイシックなところを心得ておく ということがない。

外国から人が来たなら 郷に入れば郷に従えよ、みたいな押しがあって 自分たちネイティブと同じ日本語を期待(or強要) する。


 日本人のメンタリティが こうであるうちは いつまでたっても片田舎の住人だ(世界の中で)。

自分たちの言葉を再整理し、一番ベイシックなところは どこなのか を常に認識していたなら、外国から来た人との交流は変わる。 (いつでもベーシックモードでのコミュニケーションに即応できる包容力)


 こうゆうメンタリティを持たない日本は まだまだ辺境の島国。 世界の中では片田舎の住人。 平易な日本語を 世界の人に全然分け与えていない。 "知識を分け与える"、"言葉を分け与える"、は 教えるということだけじゃない。 自分たちの乱れた言葉を再整理し ベーシックポジションでコミュニケーションレディーな状態で待機できる、ということも付随して始めて 分け与えるということだ。


 やるよ と言ってポイッと知識を渡し、渡したあと自分たちは ヒョイと違うポジションに行ってしまう。 それでは分け与えたことにはならない(共有は完成しない)。 "知識を与える" は、のちの コミュニケーション もあって完結するもの。

 "コミュニケーションの意味"、"コミュニケーションという付加価値"、 を今一度 再認識しておきたい。 慢心のある日本人にならないためにも。 (慢心はすぐに見透かされる)

投稿者 x3ru9x | 返信 (1) | トラックバック (0)

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Re: ‘英語の時制シーケンスまとめ’ を読んで気づいたこと

相変わらず的外れなことを言ってるのかなあと自分で思いながら(だったら黙れ って話だ)

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>> 英語圏の人は、自分たちの言葉を世界中の人が学んでいる ということを知っているから、英語がロジカルに整理され

わかりやすい規範が示されたなら、それをちゃんと心得ておき、英語圏外の人が来たときは それに合わせるという気持ちがある。


というような英語圏の人間はごくごく一部だと指摘したい。


>>外国から人が来たなら 郷に入れば郷に従えよ、みたいな押しがあって 自分たちネイティブと同じ日本語を期待(or強要) する。


英語圏でも同じ。「英語くらいまともに喋れるようになってから来い!」という台詞は映画やテレビの中だけのことではない。


移民の国では外国人との交流が日常化している、ゆえに外国人との対応に(日本のような国よりは)慣れがある、というだけの話。

英語と英語圏の人間に夢持ち過ぎだと思うよ。

どんな国でどんな言語を使ってようと、オープンマインドな人間もいれば視野狭窄の人間もいる。と冷静に言ってみる。

投稿者 y6p6jr | 返信 (1)

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