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方丈記の一節...

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 ソーシャルが活発になるにつれ、そこでの人の出入りも激しくなる。 そうなるとまた落ち着かない。 へたをすると落ち着かないどころか自分の居場所さえ見失う。

 大きい目で見れば、結局は流転する。 

一度 湯川さんあたりに聞いてみたい、 "自分の居場所って見つかるのですか?" と...


 あれだ、方丈記の一節...


『 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。


 住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。


 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。


 そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』


                                                     --- 方丈記 (青空文庫より)


 これはソーシャルにも言えるんじゃないか。

>> 所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。 <<


 ... いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり ...   これが未来のソーシャルの真実だったりして。


 "ソーシャル" や "キュレーション" といった流行の言葉に踊らされず、"自分の居場所" という基本に戻った方がいいのではないか、そんな気がしてきた。 自分の居場所を意識しつつ豊かにしていく、その方が いいソーシャル関係を保てるのでは...

投稿者 x3ru9x | 返信 (0) | トラックバック (0)

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