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氷水かぶり

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 誰かに氷水を ぶっかけてもらうと意味が変わってくる。 自分でかけてこそ 「みそぎ」。 外人は、「びしょ濡れになって、あーーあ..」 になりさえすればいいと思っている。

 日本人なら、「あっ、これはみそぎの一種だな 」 と理解する。 背景に 似た行為をする文化があるかないか。 or 「みそぎ」 という言葉があるかないか。

 たぶん 仕掛け人は、日本の風習をどこかで見ている。



 仕掛け人は 「みそぎ」 をSNS的に共有しようと思ったわけた。

 なぜ そう思ったのか。 実は、自分はいつか事故で死ぬ という運命を薄々どこかで感じていて、その運命にあらがっていた。 (何か探していた。)

 しかし、それはかなわず 業のままに運命は回り事故は起き、仕掛け人は死んでしまった。


 -- その向こうにある、見えない運命の歯車とその歯車を回す業(ごう)の力 --

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Re: 氷水かぶり

みそぎ

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(つづき)

 -- その向こうにある、見えない運命の歯車とその歯車を回す業(ごう)の力 --


 あらがうことのできない業の力によって運命の歯車が回ることは仕方がない とした上で、その運命の歯車とシンクロして回るもう一つの輪、修行の輪、善行の輪 を作って運命を変えていく。 それがつまり 「法輪」


 法とは、仏教における修行のメソッド (教えによる啓蒙&理解と実践&体得。 だから何々法)。 このメソッドを 自分の運命の歯車に合わせて自分の力で回し運命を変えていく。 それが仏教修行。 それゆえ、「法輪」 とは仏教の核心を言い表した言葉である。


 業の力によって回る運命の歯車 、対、 法の輪 法輪。


 p.s. 俺は 法輪功でも大川隆法信者でもないよ。 (本で読みました。)



● 「みそぎ」 は 神道でも仏教でもやる。 準備段階の行為で 別に神でも仏でもない。

● 業(ごう) とは別名、カルマ。 カルマとは、日ごろの思いや行為 習慣、悪行が魂に染みついてしまって人から剥ぎ取ることができなくなった一種の力。 前世、今世、来世 と引き継がれていく。


 (手塚治虫の「ブッダ」 を読めばすべてわかります。)

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