たとえば 「べっこう」 |
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AI 雑感 |
亀の甲羅(素材) と職人さんのペアで 「べっこう」 という。 亀の甲羅だけでは 「べっこう」 と言わない。 傷んだべっこうのメガネを職人さんが修繕する様子に 生き物の自己修復を見るのが日本人の感性。 (つまり べっこうは生きていて自己修復するかのように傷を治した)
神社にしてもそう。 神様を出し入れする神主さんと 入れ物である祠(ほこら) のペアでもって神社という。
もし、神社の神主さんが死んでしまって神社が荒れると、祠(ほこら)の中の神様は小さい子供のようになって祠の中でシクシクと泣き始める。 そうゆう話を聞いてストンとくるのが日本人の感性。
そゆう感性がAIの発展過程に表れてくると思う。
よって、日本人が考えるAIはゴッドを指向しない。
ロボットアームとAI開発者のペアで本当のロボットアーム。 ロボットアームに開発したAIを入れるのが 「入魂」。 もし、そのペアからAI開発者がいなくなると、ロボットアームにはAI開発者の面影が残る。 そうゆう感性。
投稿者 x3ru9x | 返信 (0) | トラックバック (0)