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イギリスは戦勝国

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 イギリスも "戦勝レジーム" にはまっていた。


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【イギリス暴動 2011年8月】 (ウィキペディアより)

 暴動を巡っては、その後約1300人が裁判所に出廷。裁判官は量刑ガイドラインに沿わずに判決を下してもかまわないとされ、ボトル入りの水をスーパーから盗んだ学生には禁錮6カ月が下された。 チェシャー州在住の20歳と22歳の男にはフェイスブックで暴動をあおったとして、禁錮4年の実刑判決を言い渡した。 罪に問われた子供の裁判を欠席する親も多く、英紙の多くは「この暴動は、貧困、失業、消費主義の問題を越えている。英社会は善悪の規範、倫理観、責任感を失った」と解説した。

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 YouTube上でも数々の暴動動画が投稿された。中でもマレーシア人学生が、強盗に遭遇する瞬間をとらえた動画は多くの反響を呼んだ。この青年に対し、後日ソニーとバンダイナムコは、強奪されたPSP本体やゲームソフトを補償する意向を伝えた。 また、路上で杖を振りかざして 「戦士気取りしたいんかい?このろくでなしめ...いい加減目を覚まして現実を見るんだよ」と暴徒達に怒鳴る老婆の姿が撮影された動画が注目を集めた。

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 死者5人、2億ポンド(約250億円)の被害を出した英国の暴動は2012年夏のロンドン五輪の開催も危ぶまれた。世論は、前労働党政権時代に助長された子供や貧困層を甘やかす風潮にうんざりしており、警察力の強化、厳罰主義を求めている。キャメロン首相は暴徒の社会保障を取り消す厳罰主義を打ち出す。若者を鍛え直すため、「徴兵制を復活させよ」との声も上がる。 (イギリスでは一度も働いた経験の無い若者が大勢居る)

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 今から5年前、2011年(翌年2012年ロンドン五輪) にイギリスは分断されていた。

 勝った勝ったと言ってうちにスキができてバラバラになる。

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