マイノリティ憑依について その1 |
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佐々木氏の論 |
ジャイアンツがマイナーなチームであったなら、ファンの集まりは実にマイノリティー。
もし、このマイノリティーを スポーツ報知がマイノリティ憑依のスタイルで記事にしたなら、
それはただの悔しまぎれ(か自己憐憫)。
メディアがスポーツチームより上に立っていて ニュースソースになりそうな選手たちに給料を渡している構図では マイノリティ憑依は成り立たない。 メディアが自分の世界をもっていて その世界の中のものをニュースソースにしているわけだから。(メディアがニュースソースを自ら作っている)
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読売系列は自分たちの世界を持っている。 その世界の中のニュースは花(or薬)的に表現し、それ以外の世の中のニュースは毒的に表現する。 そうしたあと、毒をマイノリテイー憑依の表現テクニックで自分たちの中に取り込み、花(or薬)と同居させる。 汚濁と花、毒と薬、ペアにしてから商品として売る。
実は、マイノリティー憑依とは 表現テクニックの一つでしかなく、すべては記事を売らんがための方便にすぎない、と見ることもできる。 (ジャーナリズムの言質ではなく、商法に深くコミットしたコピーライティング)
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読売新聞もジャイアンツに関しては当事者。 前にも書いたけど、自分の世界を持って熱く語れば当事者率は100%になって、マイノリティ憑依はどこかへ消える。
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渡辺氏はニュースソースを自分の生簀(いけす)で飼っている。
投稿者 x3ru9x | 返信 (0) | トラックバック (0)