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‘日本のソーシャルの概念は遅れている? 間違っている?’

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- (ブログ)

 記事の論点は、パブリックとクローズド(プライベート)。

前と同じで 内と外の感覚のあたり。

 どの記事を読んでも パブリックとクローズドを別々に分けるだけの論調で クローズドなところからパブリックなところへアプローチする といった観点がない。(逆のパブリックからクローズドへの方向も)


 たとえば、残業で夜8時半ぐらいになり そろそろ会社から帰ろうかというおじさんを設定してみる。

もし仮に このシチュエーションのところにシチューを持ってきたとしたなら、そのシチューが出現すべきところは我が家だ。 会社近くの洋食屋さん(外) じゃない。 おじさんは外にいて内(我が家) に向かおうとしているのだから、シチューは内のエリアのどこかに出現すればいい。 この設定において おじさんは寄り道せずまっすぐ家に帰ろうとする(動機付けが強くなった)。

(この場合は外から内への方向)


 当たり前の行動様式なんだけど、こんなところにも内と外の感覚が働いている。

もしここで、おじさんがモバイルを取り出しfacebook を通してPCの前の奥さんに連絡をとったなら、facebook は通信の方向と時刻を考慮して両方にシチューの広告を出す。 もうこれは広告ではなく、facebook からお二人へのプライベートな提案といったもの。 (モバイルからPC、男性から女性の通信だから "外から内へ" の見当はつく。facebookのプロフィールが詳しければもっと適切になる)

 *-- この例はfacebook のクローズドな中でのもの。 内と外の感覚についてわかりやすくするため。


 こういった内と外との行き来や、内と外とを利用したカラクリ付けがウェブ上でもシュミレートされていく。

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