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ソシャる

ソシャる

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" ソシャる "


>> ....... この言葉が転じて、ネットコミュニティでは、住所氏名などの個人情報を突き止めることを「ソーシャル」「ソシャる(動詞)」と呼ぶようになった。 <<   -  (はてなキーワードより)


 主役が Google から twitter や Facebook に移り変わろうとしている今、この " ソシャる " という言葉は上の解説とは違う意味を持つようになるのではないか。

上のの解説では ただの隠語。

 この言葉は、"ググる" とか "tsudaる" の延長線上にきてもおかしくない。 "ググる" "tsudaる" ときて " ソシャる " 。


 ソーシャルツール上での いろんな振る舞いを指す。 しかし、今はまだニュアンスは明確でなく、大多数の人にとってピンとくるものではない。


 湯川氏のあのエントリーは、はぎれのいいスパッとくる記事だった。


「簡単な話だ。主戦場はソーシャルメディアの領域であり、最大の敵はFacebookである。敵の敵は味方。なのでヤフーとグーグルが組んだのである。 時代は検索の時代から、ソーシャルメディアの時代に移行したのである。それだけのことである。」


 " ソシャる " が広まるのはこれからだ。 

「バンドやってんだったら もっとソシャれよ。」 とか、「自信のある品物でネットショップ開いているんだったら もっとソシャらないと... ソシャるのとソシャらないのとでは全然違うよ。この時代、セールストークはあまりうけないから。」 とか。


(流行るんかなぁー。 キーワード " ソシャる " でこのエントリーが検索一位になれば まずはよしとしよう。

検索してみたとろ、約8,660件 ヒットで3位。 1位も不可能じゃないぞこりゃ うひょひょ。 1位になった日にゃー

sa.yona.la が発祥の地だ。 フォッーー !!  ソシャる 取るよ。(まぁこの感覚が昔の感覚で、言葉に出すほど かっこわるくなる... つまりはそうゆうこと。) )

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

Re: 相変わらず的外れなことを言ってるのかなあと自分で思いながら(だったら黙れ って話だ)

http://x3ru9x.sa.yona.la/317

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 ごもっとも。 こうゆう指摘は歓迎です。w  自分でも こう書いてしまうと 青いドリーマーかなぁ、とは思った。


 これからの時代 ウェブはソーシャルだという。 そうなるとそこには 群れらしきものができ、動く。 (はてブにいたブックマーカーの群れもtwitter に移動してしまったように)

 オープンマインドな人の背後にも群れらしきものがあるだろうし、視野狭窄な人の背後にも群れらしきものがある、ように見えてくる。(ウェブを通して見たなら。現実はもちろん雑多。)

 そう見えてしまうようになったとき、自分は何と向き合い 何を共通項とするのか、というところ。 もちろん 自分自身も群れの中を動くから 自分を方向づけるものを ときどき確認しないといけない。

 リアルもウェブがらみで、何かが組み変わって、どこかへシフトしている。

 湯川氏の ウェブがソーシャル化の方向に進み始めた、とかのエントリーの影響で 自分自身 何かもやもやするものがあって、ちょっと妄想もあったりする。 ここんところ はっきりしたものがない...w 

 基本的に問題意識は、「コミュニケーションについて」。


 とりとめないですが... まぁとにかく、反応して何か書きたくなる叩き台のようなエントリーであったことはよかったです。

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

‘英語の時制シーケンスまとめ’ を読んで気づいたこと

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http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20100731/1280536823


 英語圏の人は、自分たちの言葉を世界中の人が学んでいる ということを知っているから、英語がロジカルに整理され

わかりやすい規範が示されたなら、それをちゃんと心得ておき、英語圏外の人が来たときは それに合わせるという気持ちがある。


 日本人にはそれがない。 自分たちの言葉を自分たちで再整理し、一番ベイシックなところを心得ておく ということがない。

外国から人が来たなら 郷に入れば郷に従えよ、みたいな押しがあって 自分たちネイティブと同じ日本語を期待(or強要) する。


 日本人のメンタリティが こうであるうちは いつまでたっても片田舎の住人だ(世界の中で)。

自分たちの言葉を再整理し、一番ベイシックなところは どこなのか を常に認識していたなら、外国から来た人との交流は変わる。 (いつでもベーシックモードでのコミュニケーションに即応できる包容力)


 こうゆうメンタリティを持たない日本は まだまだ辺境の島国。 世界の中では片田舎の住人。 平易な日本語を 世界の人に全然分け与えていない。 "知識を分け与える"、"言葉を分け与える"、は 教えるということだけじゃない。 自分たちの乱れた言葉を再整理し ベーシックポジションでコミュニケーションレディーな状態で待機できる、ということも付随して始めて 分け与えるということだ。


 やるよ と言ってポイッと知識を渡し、渡したあと自分たちは ヒョイと違うポジションに行ってしまう。 それでは分け与えたことにはならない(共有は完成しない)。 "知識を与える" は、のちの コミュニケーション もあって完結するもの。

 "コミュニケーションの意味"、"コミュニケーションという付加価値"、 を今一度 再認識しておきたい。 慢心のある日本人にならないためにも。 (慢心はすぐに見透かされる)

投稿者 x3ru9x | 返信 (1)

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