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Re: ‘蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】’

佐々木氏があの記事に言及

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z97kg6up


 おっ、 TechWave 白熱教室かぁ~。  "100%間違っている" キタァー。 (あの記事)

 あの記事のニュアンスは そんなに間違いでもないと思うけどね。 そのあたりはもうモニターの前に座る人の意識の問題だから。(そう感じる人はそうなんでしょうという感じ) 40人の人とつながっているページを閉(と) じていると感じる人もいれば、十分開(ひら) けていると感じる人もいる。 一旦開けていると感じたなら あとは30人も100人も500人も(増えても減っても) 同じだろうという感覚になって、結局こんなもの仮の設定でしかないと思うようになる。 人がどんな 内、外、の感覚をもっているかは ほんと人それぞれ。


-- 話は変わって --

 ソーシャルというのは、難しいとも感じるウェブをフレンドリーに見せて とっつきやすくするための ただのUIであるかもしれない。 と、俺は心のどこかで疑いも持っている。 今は "ソーシャル" という言葉が踊っているけれど、本当の実体は もうあまり言葉として聞かない マッシュアップ だとか コラボ 、共同編集、このへんにあるのではないかとも思っている。 

 本当に ソーシャルファースト か? という疑いは 少なからずある。

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Re: 佐々木氏があの記事に言及

‘佐々木俊尚さんとの見解の違いについて【湯川】’

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 湯川氏が佐々木氏のツイートに対してリプライした模様。 フムフムと読んじゃいましたよ。(蛇足の追記の方も)

まず、自分が読み取ったものと湯川氏の意図とがほぼ同じであって ほっとした。 これ、違うふうに読んでいて湯川氏の言ってることにピンとこなかったら 自信を失うところだった。 あーーよかった。

 ここは湯川氏の勝ちでしょ。 これから 佐々木氏より湯川氏について行こうかな。(そうしよう)

ほんと、あの学生(水谷君) の記事は "100%間違ってる" で片付けられる記事でもないし、残念な記事でもない。


 湯川氏は追記の中で、

>> 同じソーシャルメディアと呼ばれるものの中にも、実は違いがあり、この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいているだけで、それをうまく表現できないのでしょう。 <<


 と書いている。 これは、水谷君の、

" そういったやりとりが誰からも見ることが可能なオープンな世界が、インターネットです "

 や、

" そしてこれらのやり取りはお互いの共通の友人・知人からしか見ることはできず、閉ざされた世界がソーシャルネットです "

 をフォローしてのことだろう。

言ってみれば、内 と 外 の感覚の問題。


 そして湯川氏、

>> 特に日本の現状を見る限りにおいては、ソーシャルメディアを2つに分類する意味をまったく見いだせません。<<


 いやこれは、水谷君の内と外の感覚が 今は対象をこう捉えているだけであって、ここはサラッと流してもいいのではないかい。(後々変わりもするだろうし) そんなことよりポイントになるのは 先に言った 内と外の感覚の問題。


 "この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいている...."


 ここ。

 "では「どう意味があるのか」" ってありまんがなぁ。

内の意識と外の意識の このこすれあってせめぎ合うような薄皮というか空気の壁というか、この隔たった感覚エリアの境目のそここそがアイデアを生み出すエネルギーの源(みなもと) でしょっ !!!

 内の感覚に留(とど) まっている意識が 外の意識のエリアにアプローチしようとしたとき、知恵は絞られアイデアが生まれる。 アイデアや発想は、腕を組んで天井を見上げ "何かいいアイデアはないかなー" なんて言ってたって出てこない。 内に留まっているところから片足一歩でも踏み出して、何か(外の) にアプローチしようとしたとき始めて生まれる。

 一目ぼれした女の子に声をかけることだってそう、アプローチしようとして始めて じゃぁどうゆうふうに声を掛ければいい? と知恵を絞るようになる。 これすなわち、内と外の感覚あっての薄皮を突破しようとする行動力。(背中を押す力の意も含めて)

 「うちうち言うやつに発想なし」。 よく会社で "うちの会社は" とやたら うちうち 言う人がいるけど、内という意識で自分を固めてちゃ新しい発想も持ちえない。 何かを辿(たど) って外にアプローチしようしたとき始めて頭が働き出し発想も湧いてくる。


 水谷君や湯川氏が焦点を当てようとしていたところは、すごいポイントだわ。 ここは大きいと思う。(人を動機付ける仕掛けを考える上でも、またゲーム内のシチュエーションの設定を考える上でも。 どうなれば面白いのか のヒントがある)

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

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