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コミュ

札幌ゲーム製作者コミュニティ“Kawaz”

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https://www.kawaz.org/

 サイトを見ていて、何か まじめで誠実な雰囲気があるように感じた。

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3Dモデラーが集まる 3D表示コミュ 「Sketchfab」

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https://sketchfab.com/


● D'arc Qthvel さん (日本人、フィギアコレクションのような) https://sketchfab.com/qthvel/models

● 響け ユーフォニアム (アニメモデル) https://sketchfab.com/models/82367f6a22644f6f88b462077611559e

● MMDアニメモデルな少女キャラ (作者タイ人) https://sketchfab.com/models/82367f6a22644f6f88b462077611559e

● 石膏デッサン用の石膏モデル (ダウンロード可) https://sketchfab.com/models/39802076a2154b4f8ede1f99af3c3e77


 日本人MMDモデラーもいますねー。 (@日本、神奈川)

https://sketchfab.com/TuoMaLingMu

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北海道イラストレーターズクラブα

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http://airacafe.com/illust_a/

47人 (フォーティーセブン)


 AKB48

 乃木坂46


 47人というところがミソ。  また、エグザイルは現在 18人。


 AKB にしても エグザイルにしても 「中身が変化するデータベース + アクセスの仕方」 を商品としている。 ユーザーはデータベースの面白さも楽しんでいる。


 エンタテイメントにデータベースなものをもってきて商品にする というのは最近の発想のように思えるけどそうじゃない。 ウルトラ兄弟や、怪獣データベース、仮面ライダー何々がある。

 違う所はデータベースへのアクセスの仕方。 AKBの場合、選挙&握手会という窓口を通してアクセスさせている。

 ファンはデータベースのユーザーでもある。 もし、ファンがAKB がらみでブログに何か書くとしたなら、データベースへのアクセスの仕方や、データベースへ至るまでの気持ちや気分はどうだったか、のアクセスルートを書くといい(のではないか)。 それなら共有できる。


 そうであるなら、上の 北海道イラストレーターズクラブアルファ も一つのデータベースと見なして、こちら側で工夫を凝らして違ったふうに見せていくこともできる。


● 「北海道イラストレーターズクラブアルファ47」 → 「HICアルファ47」

  エッチアイシーアルファ フォーティーセブン。 少し見方を変えればネーミングも変わる。

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‘schoo(スクー) WEB-キャンパス’

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 電子書籍も学校の中に持ってくれば 教材。 学校というコミュの中で役割づけ、色づけされる。

学校が自由な感じの学校なら 電子書籍も自由で多彩なラインナップになる。


 本は自由に流通しているようでしていない。 いろいろと営業ルートがある。


 あらゆるジャンルの本が並んでいて 自由に選べる状態では お客は迷い なかなか売れない。

お客を特定の空気の中に誘い込む方がいい。 それがコミュ、 ソーシャル。

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‘漫画の背景共有データベースつくろうよ!’ (togetter)

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 twitter の方で漫画背景共有データベースの話が今年2月ごろ盛り上がっていた。


・ 上のtwitter の中で出てきた CLIP という創作活動応援サイト(背景画一枚) -

投稿者 x3ru9x | 返信 (18)

‘英語の時制シーケンスまとめ’ を読んで気づいたこと

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http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20100731/1280536823


 英語圏の人は、自分たちの言葉を世界中の人が学んでいる ということを知っているから、英語がロジカルに整理され

わかりやすい規範が示されたなら、それをちゃんと心得ておき、英語圏外の人が来たときは それに合わせるという気持ちがある。


 日本人にはそれがない。 自分たちの言葉を自分たちで再整理し、一番ベイシックなところを心得ておく ということがない。

外国から人が来たなら 郷に入れば郷に従えよ、みたいな押しがあって 自分たちネイティブと同じ日本語を期待(or強要) する。


 日本人のメンタリティが こうであるうちは いつまでたっても片田舎の住人だ(世界の中で)。

自分たちの言葉を再整理し、一番ベイシックなところは どこなのか を常に認識していたなら、外国から来た人との交流は変わる。 (いつでもベーシックモードでのコミュニケーションに即応できる包容力)


 こうゆうメンタリティを持たない日本は まだまだ辺境の島国。 世界の中では片田舎の住人。 平易な日本語を 世界の人に全然分け与えていない。 "知識を分け与える"、"言葉を分け与える"、は 教えるということだけじゃない。 自分たちの乱れた言葉を再整理し ベーシックポジションでコミュニケーションレディーな状態で待機できる、ということも付随して始めて 分け与えるということだ。


 やるよ と言ってポイッと知識を渡し、渡したあと自分たちは ヒョイと違うポジションに行ってしまう。 それでは分け与えたことにはならない(共有は完成しない)。 "知識を与える" は、のちの コミュニケーション もあって完結するもの。

 "コミュニケーションの意味"、"コミュニケーションという付加価値"、 を今一度 再認識しておきたい。 慢心のある日本人にならないためにも。 (慢心はすぐに見透かされる)

投稿者 x3ru9x | 返信 (1)

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