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考察

sns

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 facebook の進攻と言ったところで ユーザーにとって意味があるのは、有意義な出会いであり、勉強になる人へのお近づき。 mixi の牙城は強固だとかfacebook は流行らないとか そんな勢力争いはユーザーにとってあまり関係がない。

 また、ある時期 注目していた相手でも 時間の経過とともに興味がなくなったりする。 つながったり切れたりして動いている。


 梅田氏の考察に興味がなくなって久しい。日本とシリコンバレーを股にかけるBetween橋も霧の向こうに霞んでしまった。

 ... と思いきや、


>> 「インターネットとはそもそもグローバルなものなのだ」という常識があります。しかし、その常識から離れて虚心にウェブ進化の現実を眺めたとき、インターネットが広く人口全体に普及する段階においては、ローカル性がグローバル性を凌駕するのがむしろ自然だと考えるべきだろう。徹底的にグローバルを志向するムーブメントのほうをこそ「特別なもの」と見る必要があるのではないか。次第にそう考えるようになりました。 (梅田望夫) <<


 ムムム、興味がわきますねー。 -

ほー、ここにきてオープンエデュケーションとな..

 facebookをこのオープンエデュケーションと考え合わせたなら、snsの文脈もまた違った文脈になるのかも..


 "[コラム]メタ・ユニバーシティとクラウド・カレッジ" ... なんと..

 "オープン・テキストブック" ... ははーん、このあたりから佐々木氏は ソーシャル読書とか言ってんだな。



 梅田氏のブログエントリーについたコメントより、


>> さて、最初の話題に戻ろう。p.76まで読んだが、オープンエデュケーションというものはどうも試行錯誤の段階のような気がする。eラーニングには基本となる仕様があるようである。しかし、これがリナックスのようにオープン化されていないようである。これを早くしなければならないのではないだろうか。私の専門は社会科教育である。そして私なりに考えた事、そしての成果である教材をデジタル化して、このブログで発信してきた。デジタル化しているので、オープンエデュケーションの基本仕様が策定されれば、その仕様にしたがって、再作成が可能だと考える。 <<


 さっそく反応あり。 社会科の先生らしい。

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Re: ‘ソーシャルメディアをコメント付きでまとめてストーリーを作ることができる 『Storify』’

facebook のノート

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 facebook にノートってある。 あそこ以外とポイントじゃなかろうか。

ニュースフィードのところで つぶやきとか いいね! なんかをやるより ノートのところでそこそこ読めるコラムとか 何かのまとめみたなのを書いた方がいいのでは..  どのみちfacebook も広がってくることだし。

 キャフキャフするより、しっかりしたものを書いた方がいいと思ってきた。 ツイッターの逆を行って 内容をぎっしり詰めこむことをした方が面白い。 (そんなに内容あるわけじゃないけど..)

 そう考えるならfacebook いけるよ。 ミクシー、ツイッター の延長線上で考えるんじゃなく。 

 よしっ、俺はその線でいくよ !!


 画像もノートとできるだけ関連させる。 図解イラストやチャート、マインドマップ。 数枚まとめることができるアルバムを有効に使う。 (ただノートにはfashとかは表示できないみたい)  テーマに関係した意味合いのある画像。 あるいは逆に 画像にあるものをモチーフとして そっちからノートの方へ。


 "フェイスブック同時オン会" のamachan でさえノートは何も書いていない。 キャフキャフやってるだけ。 いいぞ、まだ気がついていないな。 ノートのところに ちゃんとした内容のものを書くとどうなるか、ですよ。

 facebookサイトということと、つながってくる人の傾向とかがあるから ブログに書くのとはまた違ってくると思う。 ブログやミクシーに書くのと何が違うの? という見方も確かにあるのだけど..


 ここでこそ キュレーターやるべきでは..  佐々木氏の言うキュレーターは確かに現れてくると思う。 ただそれがどこに現れてくるのか.. (NEVERまとめ、あそこもキュレーターって言ってた)


 まぁしかし、ベースはsa.yona.la に置いて、というスタンスだけど。


.......

参考 :

● "フェイスブック同時オン会" のamachanさん(facebook) -

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Re: 共有世界 to 所有 までのプロセス

‘ソーシャルメディアをコメント付きでまとめてストーリーを作ることができる 『Storify』’

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-

 ソーシャル と ストーリー って相性がいい。 ある知らせ(情報) が誰かから誰かに伝わっていく過程の中で それぞれの人がそれぞれの反応(行動) を見せる。 その流れを切り取るだけでもエピソードになる。

 ただ、その流れの記録が 単なる思い出としての記録になるか、再現可能なタスクの記録になるか、はある。


 サンプルを見ると ツイートとツイートの間をつなげる文が入っていた。 それがあるとツイートのつながりに味がつく。



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投稿者 x3ru9x | 返信 (1)

Re: ソーシャルの影響

共有世界 to 所有 までのプロセス

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 ソーシャルのキーとは共有だ。 

それはいいとして、たとえば レシピを共有した場合を考えてみる。 レシピを共有したのはいいが、作って食べてみたところ口に合わなかった。  

 そうなると 共有は破棄される。 "共有" からプロセスを踏んで "所有" の直前まで来たが所有されなかった ということ。 

つまり、共有から所有へのつながりが切れた。 ちゃんと所有まで来ないと共有は生きたものとはならない。

 共有に紐づいた所有もまたソーシャルのキーだ。


 ソーシャルにおいてのコンテンツは、共有しているそれだけがコンテンツだろうか。 いやいや そうじゃない。

共有しているものを自分の手元にまで持ってきて 所有することができたそのプロセスもコンテンツだ。

 そのプロセスをちゃんと表現していくことが ソーシャルにおいての個人のコンテンツ作りではないか。



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Re: 共有 と 所有

ソーシャルの影響

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 少し前まで(いや今もか)、何を伝えたいの? 何を表現したいの? みたいな 対峙した中で受けて立つような目が最初だった。 それが、君と共有できるものって何だろう? みたいな 問いかけと探索の目が先にくるようになってきた。

 受け手のスタイルは一つじゃない。



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Re: オフソーシャルな世界

共有 と 所有

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 佐々木氏や TechWave の湯川氏のところで SNSの話題が盛り上がっている。

まぁしかし、SNSもいいことばかりじゃない。 多くの人は、得をしたい という気持ちより 損をしたくない という気持ちの方にウェイトがかかっているから 不評情報やネガティブコメント(根拠のある) の方が強く伝播する。


 SNSに関しては、少し整理して考えた方がいいことがいろいろある。

"共有" ということにしても それに対して "所有" ってのもあるわけだから。 SNSにおいての "共有" "所有" は結構 テーマになると思う。 共有一辺倒じゃ疲れる。 所有と共有とがあるタイミングで変化したりする方が面白い。

 共有の世界 と 所有の世界、このあたりの整理。 このあたりを曖昧にしていると むしろストレスになる(のでは)。


ブクマ :

‘Facebookが無料のローカル広告 ビジネス再編すべての始まり【湯川】’ -



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投稿者 x3ru9x | 返信 (1)

Re: sns をマスメディアで宣伝?

オフソーシャルな世界

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 ソーシャル化が進むにつれ、オフソーシャルな世界にも 注目は集まる。 (ソーシャルはもうお腹一杯となって)

一人旅、一人でふらっと映画館、一人でツーリング、一人でパワースポットに行って願掛け、等々。 静かでのびのびとした広い世界。


 本来 オフソーシャルな世界のものをソーシャルの世界に引っ張り込んじゃぁダメダメ。

そこは そっとしておかないと...

 (なにを言ってるのか..w)



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Re: コンセプトの共有 と スタイル

sns をマスメディアで宣伝?

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 sns をマスメディアで宣伝するというのは 考えてみれは変な話。 (sns は伝播メディアでもあるから)

グリーや他sns のようにマスメディアを使って宣伝しているうちは まだまだ目新しくて馴染んでいない何か。

これが、意識することもなく使うことになったsns の方が意味合いをもって広く伝播し、マスメディアの方は限定的にしか広がらないとなれば、本物だ。


 全国各地の人が参加する天気予報ってある。 ソーシャルの目で見れば、あれは先を行ってる。 参加型天気予報というのもまたソーシャルシップだろう。



今日 目にしたソーシャル関連のニュース :

・ 「ビジネスSNSに生まれ変わる」--サイボウズ Liveが自由登録制に -

・ これからは人を軸に情報が流れるようになる、佐々木俊尚が語る「次世代テレビ」「脱テレビデバイス」「ミドルメディア化」 -



追記 :

 佐々木氏の記事を読んだ。 

ん~、ただ動画を見ようとしているときは 楽をしようとしているときだから いちいちめんどくさいのはどうかなぁ。 へたをするとそのときだけはソーシャルがウザいものになる。

 これが天気予報のように情報を取りに行こうとしているときならソーシャルは機能する。 (語学の勉強とかも)

 そのへんのオンオフはあると思う。 ソーシャル一辺倒にはならない。 オフソーシャルという状態もある。



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Re: ソーシャルシップの具体的な行為

コンセプトの共有 と スタイル

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 コンセプトを提示し このコンセプトを受け取ってください、といってそれを書いたビラを手渡しても すんなりとは受け取ってもらえない。 ましてやコンセプトがスローガンとなったものなど脊髄反射的に反発される。

 じゃー どんな形でなら受け取ってもらえるのか。 スタイルだ。 コンセプトをスタイルに込めて複数提示し選択できるようにしたなら受け取ってもらえる。 あくまで手渡すものは スタイル、コンセプトはその後に共有されるもの。

 ソーシャルのミソは共有だという。 コンセプトは共有されるものなんだったらソーシャルシップ形成のためには 先にコンセプトを言いふらしゃーいいじゃないか、となるが それじゃ伝わらない。 共有されるもの(共有してほしいもの) はコンセプトだとしても手渡すもの、受け取ってもらうものはスタイル(選べるようになっている複数のスタイル。選択肢) だ。

 このへんのボタンを掛け違うとつまずく。 いや、コケる。


 複数スタイルを用意して選択肢を提示するというのは、その先にシーンの夢を見させること。 右のスタイルを選べばこういうシーンがイメージされ、左のスタイルを選べば別なシーンがイメージされる と、シーンを様々にイメージすることが楽しくなる分岐の場をお膳立てすることでもある。


 "ソーシャル" "共有" というキーワードで、コンセプト、スタイル、選択肢、の からみが解けてくる。


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Re: ソーシャルのコンセプト

ソーシャルシップの具体的な行為

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 弾さんが "この本は目から鱗が落ちまっせ!" と書評した本をすぐに買って読み、"いやほんと、この本の洞察はすごい、目から鱗が落ちたよ!!" と共感する。 そして、そのことを弾さんのブログコメント欄に書く(or トラバ)。 それも1、2冊じゃなく継続して続ける。

 これすなわち ソーシャルの触手を相手につなげる具体的な行為。 弾さんと自分との間に目から鱗が落ちたという感動を共有し、その共有のもとにブログやツイッターでちょこちょこ絡む。(もちろん礼儀をわきまえながら)

 なんてことはないんだけど、この形がソーシャルシップの基本的な形だ。 同じ本を読むにしても フラッと本屋さんに寄って たまたま目についたから店員さんから買って読んだ というのでは感動の共有がない。 それではソーシャルシップの形を作りえない。

 接点は部分的でわずかでもいい、"共有できるもの" というのがソーシャルシップのミソだ。 高校のときからの友達で大人になってからも付き合ってる、とか ソーシャルシップにそこまでのものは必要ない。

 こうしてソーシャルシップのスピリットをもってウェブ上で触手を伸ばしていけば モチベーションがつき自分が伸びてくる。

 向こうの人が 胸襟を開いていてオープンマインドな人であると助かる。 もちろん自分もそうであるように努めたい。


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Re: ソーシャルづかないのなら停滞だ

ソーシャルのコンセプト

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 ほぼ日(糸井氏) のこのページなんかもソーシャルを考える参考になる。

正直は最大の戦略である とか、安心と信頼についてのあたり。


 "正直という戦略を取る" というのと、"安心世界の外にも信頼を見出す目をもつ" の2つがソーシャルの肝でありコンセプトなんじゃないか。 他にもあるだろうけど、今のところこの2つということで。

(ゲーム理論や社会心理学の考察あってのソーシャル)


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Re: ソーシャルスイッチ

ソーシャルづかないのなら停滞だ

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 とにかく儲からないと面白くない だとか、古臭い中華思想のように従うのか従わないのかどっちなんだ とか、そうゆう意識が立っているとソーシャル感覚になじめない。 内面にまでソーシャル感覚が浸透してこず、形だけ 付き合いだけのものになる。

 今一番そうゆう状態になっているのが、中国共産党首脳部。 これからもそうであるなら、ソーシャル化が巻き起こっているアメリカとのギャップは今よりもっと大きくなる。

 権威と横暴でゴリゴリしているのは、この時代 足踏みしているようなもの、遅れていくだけ。 その間に日本は、中国を取り囲む国々とソーシャルパートナーシップを築いていけばいい。

 国内にも そうゆうおっさんがいる。

 

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Re: ログ と メッセージング

ソーシャルスイッチ

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 ここへ来ると どうしてかポエムを書いてしまうんだよね とか、

pixiv 内を見て回ってpixiv に向き合わないと手が動かないんだよね とか、

wonderfl に行かないとASを書くモードにならないんだよね とか、

 そうゆう感覚を覚えてきているなら、頭の中にはすでにソーシャルスイッチがある。


 ソーシャルに関しては、それがお金の通り道だとか、口コミマーケの伝播経路だとか、の考察もあるんだけど 個人がソーシャルに向き合った場合は 動機付け促進のための何かだ。

 動機付けといえば、お金による動機付け(インセンティブ) もあるわけだけど ソーシャル性がスポイルされた状況を設定するなら それはむしろつらいものになる。 まずはソーシャル、そのあとにインセンティブ。 そしてインセンティブはそのソーシャルを通す。

 最初にソーシャルをスポイルしておいて、金になるから とにかくこれをやれ、というもって行き方が一番よくない。

そんなんじゃ動機付かない。

 ソーシャルがこれだけ表に出てきた今、ウェブに向かったときの自分自身のもって行き方の順序を意識化する必要がある。

これから先もソーシャル化は進むわけだから、そのへんのところで つまづいていたんじゃダメだろう...

 ここにきて 伸るか反るかの分かれ目がちょと見えてきた。 お金を先に立てたら反るよ。 というか、自分の中にギャップが起こってきて迷いが生じてくる。 迷ったらそこでエラーを起こす。 一塁に投げるのかホームに投げるのか そこで迷ったら動きが止まるのと同じ。 

 

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Re: ブックマーカー と ポエマー

ログ と メッセージング

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 ブックマークは基本的にログでありストックだろう。

しかし、そのお気に入りを 今すぐ身近な人に教えてあげたいと思い立ったなら メッセージングになる。(リアルタイムづく)

 ツイッターではこれが混在しているけど、意識としては分けておいた方がいい(のはないか)。

自分が今この瞬間考えていることに時刻のタイムスタンプはあまり必要ない。だから、これは幅をもった時間帯に浮かぶログ。

このログがリアルタイム性をおび、メーセージングになる きっかけは人(誰か。上のことから)。 きっかけとしての人をソーシャルとするなら、ソーシャルはログを過去性のものからリアルタイム性へと変化させる触媒。 ログをオンにするオフする感覚とソーシャルとの紐づかせ方あたりが面白い。


 ブックマーク(好) と ポエム(この場合 非お気に入り、反発したもの) の対があってそれぞれに、ログ的 と メッセージ的(リアルタイム性) があるから、

・ ログとしてのブックマーク と メッセージとしてのポエム (A)

・ メッセージとしてのブックマーク と ログとしてのポエム (B)


 を考えることができる。 そして ここに人間関係の網(ソーシャル) を掛けてみる。 誰かと誰かの関係では、A発動。

Aだとどちらかがポエマーになる。 ここにもう一人誰かをもってきて、そのポエマーの内面にログとしてあるブックマークを読み取るとか。 対応する相手が変わり、ログとしてあったブックマークがオンになってメッセージとして出る、というのも。


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