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ソーシャル

クローズド感

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 sayonala も "お気に入りに公開" があるからクローズド感は持てる。

ある意味、クローズド感なんてユーザー本人の感覚の問題。 言い換えれば、ごっこ に気持ちが入るかどうか。

 地下ダンジョンにもぐりこんで、"おや、こなところにいい情報があったぞぉ~" という感覚になれるかどうか。

 そうゆうところに入るには、サイトの背景色は暗めの方がいい..

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‘最後のはてな村民”――ネット民俗学的な資料か、葬送すべきゾンビか’

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-

 はてなダイアリー での はてな村民 にクローズド感はもうあまりない。

しかし、Q&Aの方にはある。 Q&Aの受け答えの内容自体がクローズド感を醸し出しているから。


‘実名制Q&Aサイト「Quora」が驚くほどすごい5つの理由【イケダハヤト】’-


 これにしても、Q&Aの内容自体がクローズド感を持っているから、それにハマッたとも言える。

クローズド感のコントロールってこれから大事だろう。

 ま、それも オープン世界がかなり充実している ということあってのこと。

オープン世界からクローズド領域、また逆に、クローズド領域からオープン世界。 この往復(と言っても感覚の往復だけど) は、人を動機付ける仕掛けにもなっている。


 キーワードとして、"リージョン" をメモ。

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方丈記の一節...

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 ソーシャルが活発になるにつれ、そこでの人の出入りも激しくなる。 そうなるとまた落ち着かない。 へたをすると落ち着かないどころか自分の居場所さえ見失う。

 大きい目で見れば、結局は流転する。 

一度 湯川さんあたりに聞いてみたい、 "自分の居場所って見つかるのですか?" と...


 あれだ、方丈記の一節...


『 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。


 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。


 住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。


 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。


 そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』


                                                     --- 方丈記 (青空文庫より)


 これはソーシャルにも言えるんじゃないか。

>> 所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。 <<


 ... いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり ...   これが未来のソーシャルの真実だったりして。


 "ソーシャル" や "キュレーション" といった流行の言葉に踊らされず、"自分の居場所" という基本に戻った方がいいのではないか、そんな気がしてきた。 自分の居場所を意識しつつ豊かにしていく、その方が いいソーシャル関係を保てるのでは...

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..

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 一応、湯川さんの記事は読んだ。

● 「リアル」「クローズド」なウェブは何を可能にするのか【湯川】 -


 オープンなところを あちこち見て回って 何か面白い記事があると それをクローズドの方へ持ち込む、という導線はもちろんある。(その逆も)  クローズドと言っても往復はするわけで、往復中 気持ちが何か動機付くなら それはそれで一つのメリット。

 ソーシャルには、利便性もあるけど 動機付けの装置 という面もある。

 

 また、SNS & プロジェクトということで、

● プロジェクト思考で作ろう (ゆーすけべー日記) -

 プロジェクトにおいてSNSは必携、という感じの記事。

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‘ソーシャルメディアは、「職」ではなく「スキル」:共有すべきソーシャルメ ディア・スキル’

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 会社の中のソーシャルメディア担当なんて 考えてみれば難しい。 成果をどうやって計るか、というところが難題。

しかし、それを計れるのはその担当者の人と接したウェブの向こうの人なんだけど。 上から眺めている上司には計れない。

 このへんから、ソーシャルの精神みたいなのが見えてくる。 一段高いポジションで概略をつかんだとしても実際のところ何が起きてるかはわからない。 言ってみれば、空振り状態。 わかったような気になっても ソーシャルグラフ上での振舞いがなければ それは空振りの連続。

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mixiのメルアド問題

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 内と外の感覚のボタンを掛け違うとユーザーは敏感に反応する。

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‘コミュニティ参加で友人に通知 mixi新機能、ユーザーから猛反発’

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-

 コミュニティーに意識を向けさせようとした機能だった。 コミュニティーが廃(すた) ってきているのだろう。 そもそも多くのコミュニティーが軽すぎる。 軽いノリのコミュが "こんなところどうでもいいや" という空気を醸成する種となり 足を引っ張っている。 

 ノリだけのコミュは信憑性に欠ける。 これじゃ 実名でコミュを営むフェースブックに負かされてしまう。 ソーシャル第2章はそんなノリじゃない。

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‘日本のソーシャルの概念は遅れている? 間違っている?’

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- (ブログ)

 記事の論点は、パブリックとクローズド(プライベート)。

前と同じで 内と外の感覚のあたり。

 どの記事を読んでも パブリックとクローズドを別々に分けるだけの論調で クローズドなところからパブリックなところへアプローチする といった観点がない。(逆のパブリックからクローズドへの方向も)


 たとえば、残業で夜8時半ぐらいになり そろそろ会社から帰ろうかというおじさんを設定してみる。

もし仮に このシチュエーションのところにシチューを持ってきたとしたなら、そのシチューが出現すべきところは我が家だ。 会社近くの洋食屋さん(外) じゃない。 おじさんは外にいて内(我が家) に向かおうとしているのだから、シチューは内のエリアのどこかに出現すればいい。 この設定において おじさんは寄り道せずまっすぐ家に帰ろうとする(動機付けが強くなった)。

(この場合は外から内への方向)


 当たり前の行動様式なんだけど、こんなところにも内と外の感覚が働いている。

もしここで、おじさんがモバイルを取り出しfacebook を通してPCの前の奥さんに連絡をとったなら、facebook は通信の方向と時刻を考慮して両方にシチューの広告を出す。 もうこれは広告ではなく、facebook からお二人へのプライベートな提案といったもの。 (モバイルからPC、男性から女性の通信だから "外から内へ" の見当はつく。facebookのプロフィールが詳しければもっと適切になる)

 *-- この例はfacebook のクローズドな中でのもの。 内と外の感覚についてわかりやすくするため。


 こういった内と外との行き来や、内と外とを利用したカラクリ付けがウェブ上でもシュミレートされていく。

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‘イラストの向こうに見えるソーシャル 1、2’

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- 1  2

 似顔絵を描きながらソーシャル活動している女性がいるという。 南暁子さん。 そして描いてもらった人たちは描かれつながりでミーティングもするらしい。

 しかし気を使うだろうな。 ある意味、幹事だし(南さんが)。 佐々木氏も参加しているとのこと。

 広場でイーゼルを立てて似顔絵を描いてる人がソーシャル内で似顔絵を描いていくと 似顔絵に付加価値が付いてくる。

まぁそうゆうことなのかも.. (これはたとえです)

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 それにしても みんなソーシャルやってるなぁー。 

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 pixiv は お絵描きでソーシャルってことなんだけど、各人それぞれが自分の描きたいものを気ままに描いているだけじゃ

つながらない。 どっちかがどっちかに歩み寄って絵的世界を共有&拡張するということをしないと。 しかしそれが難しい。

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 胎界主の画調に合わせる加工もソーシャル活動を念頭においてのこと。 俺もなんとか今持ってる芸で ソーシャルの触手を伸ばして行かねば...

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 これから先、ソーシャルっぽいことを何もしなかったら してきた人と大きな差がついてしまいそうで怖い。 ちょっとこれはいけません。 お金じゃないところが むしろやっかいだ。 

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 sa.yona.la とてソーシャル。 お気に入り機能(友達登録) もある。 ここに顔を出していればソーシャルっぽいところで活動しているとは言える。 形容するなら 涼しいソーシャル環境といったところ。

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Re: 佐々木氏があの記事に言及

‘佐々木俊尚さんとの見解の違いについて【湯川】’

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 湯川氏が佐々木氏のツイートに対してリプライした模様。 フムフムと読んじゃいましたよ。(蛇足の追記の方も)

まず、自分が読み取ったものと湯川氏の意図とがほぼ同じであって ほっとした。 これ、違うふうに読んでいて湯川氏の言ってることにピンとこなかったら 自信を失うところだった。 あーーよかった。

 ここは湯川氏の勝ちでしょ。 これから 佐々木氏より湯川氏について行こうかな。(そうしよう)

ほんと、あの学生(水谷君) の記事は "100%間違ってる" で片付けられる記事でもないし、残念な記事でもない。


 湯川氏は追記の中で、

>> 同じソーシャルメディアと呼ばれるものの中にも、実は違いがあり、この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいているだけで、それをうまく表現できないのでしょう。 <<


 と書いている。 これは、水谷君の、

" そういったやりとりが誰からも見ることが可能なオープンな世界が、インターネットです "

 や、

" そしてこれらのやり取りはお互いの共通の友人・知人からしか見ることはできず、閉ざされた世界がソーシャルネットです "

 をフォローしてのことだろう。

言ってみれば、内 と 外 の感覚の問題。


 そして湯川氏、

>> 特に日本の現状を見る限りにおいては、ソーシャルメディアを2つに分類する意味をまったく見いだせません。<<


 いやこれは、水谷君の内と外の感覚が 今は対象をこう捉えているだけであって、ここはサラッと流してもいいのではないかい。(後々変わりもするだろうし) そんなことよりポイントになるのは 先に言った 内と外の感覚の問題。


 "この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいている...."


 ここ。

 "では「どう意味があるのか」" ってありまんがなぁ。

内の意識と外の意識の このこすれあってせめぎ合うような薄皮というか空気の壁というか、この隔たった感覚エリアの境目のそここそがアイデアを生み出すエネルギーの源(みなもと) でしょっ !!!

 内の感覚に留(とど) まっている意識が 外の意識のエリアにアプローチしようとしたとき、知恵は絞られアイデアが生まれる。 アイデアや発想は、腕を組んで天井を見上げ "何かいいアイデアはないかなー" なんて言ってたって出てこない。 内に留まっているところから片足一歩でも踏み出して、何か(外の) にアプローチしようとしたとき始めて生まれる。

 一目ぼれした女の子に声をかけることだってそう、アプローチしようとして始めて じゃぁどうゆうふうに声を掛ければいい? と知恵を絞るようになる。 これすなわち、内と外の感覚あっての薄皮を突破しようとする行動力。(背中を押す力の意も含めて)

 「うちうち言うやつに発想なし」。 よく会社で "うちの会社は" とやたら うちうち 言う人がいるけど、内という意識で自分を固めてちゃ新しい発想も持ちえない。 何かを辿(たど) って外にアプローチしようしたとき始めて頭が働き出し発想も湧いてくる。


 水谷君や湯川氏が焦点を当てようとしていたところは、すごいポイントだわ。 ここは大きいと思う。(人を動機付ける仕掛けを考える上でも、またゲーム内のシチュエーションの設定を考える上でも。 どうなれば面白いのか のヒントがある)

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Re: ‘蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】’

佐々木氏があの記事に言及

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z97kg6up


 おっ、 TechWave 白熱教室かぁ~。  "100%間違っている" キタァー。 (あの記事)

 あの記事のニュアンスは そんなに間違いでもないと思うけどね。 そのあたりはもうモニターの前に座る人の意識の問題だから。(そう感じる人はそうなんでしょうという感じ) 40人の人とつながっているページを閉(と) じていると感じる人もいれば、十分開(ひら) けていると感じる人もいる。 一旦開けていると感じたなら あとは30人も100人も500人も(増えても減っても) 同じだろうという感覚になって、結局こんなもの仮の設定でしかないと思うようになる。 人がどんな 内、外、の感覚をもっているかは ほんと人それぞれ。


-- 話は変わって --

 ソーシャルというのは、難しいとも感じるウェブをフレンドリーに見せて とっつきやすくするための ただのUIであるかもしれない。 と、俺は心のどこかで疑いも持っている。 今は "ソーシャル" という言葉が踊っているけれど、本当の実体は もうあまり言葉として聞かない マッシュアップ だとか コラボ 、共同編集、このへんにあるのではないかとも思っている。 

 本当に ソーシャルファースト か? という疑いは 少なからずある。

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‘蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】’

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- (TechWave)

 読んだ。 まぁ基本的なところの整理といった感じ。 

ただ ここんとこ、

>> インターネットでは、新たな情報に価値があります。

ソーシャルネットでは、友人・知人の動向(近況、レコメンデ―ション)に価値があります。 <<


 情報が個人付随のものだけだとしたら、人の数+α、で人数分しかない。 人と人の間のつながり部分に着目すれば情報は無限に増える(掛け合わせだから) 。 

 ウェブは関連付けを編集していく巨大な装置でもあるから、目を向けるべきは人そのものじゃなく、人と人とのその間の部分。 人を大切にしようという気持ちがあるから人に目が行くのだろうけど、システム(機械) としてはつながり付けのために使う方がより機能する。 個人付随の情報量なんて たいしたことはない。

 このあたりは マーク・ザッカーバーグ も言ってた。 というか昔から言われている。 


 ECのマーケティング的な目で見れば お金を出すのは個人だから 個人を囲い込もうとして一人単位で考えるけど、

ソーシャルな考え方で人を見るなら 最小単位は2人ってことになる。(つながりだから)

 マーケティングの目とソーシャルの目の違いってこのあたりなのかも。


 で、そのソーシャルの目で見た場合の つながりのところでどんな価値を生み出せるのか、ここがマーク・ザッカーバーグに注目が集まる理由。 みんなそこを知りたがっている。

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久しぶりのmixi

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 久しぶりにmixi に入ってみた。 facebook と比較するために。

まったりしてるなー。 レイアウトにしてもナビゲーションにしても。

 まず入った直後のページに検索窓が見当たらない。 これはもう意図的なものだろう。 

どこもかしこも滞在時間を伸ばすためのデザインに思える。 女性向けとして考えてるね。

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150人説

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 湯川氏が言ってた150人説。

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Re: facebookアプリでCivilization

facebookアプリでCivilization (つづき)

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 シドマイヤーがシュミレーションゲームを世に出したとき多くの人は、"何が面白いの" とよく言ったものだ。 その後 パソコンの性能は上がり相互に結びつくようになった。 機械が結びついたあと 人々はそれを人間関係に利用するようになった。

その中でシュミレーションゲームは再発見され新たな発展段階を辿るようになる。 その発展段階の途中 多くの人はある体験をし、行き着く先に一つのアイテムを見出し始めた。 そのアイテムとは何か、本 Book 。 そう人々は他者を通じて読書を体験していたのだ。 シュミレーションゲームの初期から ここまでのストーリーをいったい誰が予見し得ただろう。

 私たちは今 文明の発展段階をその身をもって体験し、気付き始めている。 ここがCivilization の現場なのだと。

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Re: facebookの本名

facebookアプリでCivilization

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 文明の隆盛と崩壊といえばローマ帝国。 

たとえば、ローマ帝国のところだけのCivilization(日本語版) があるとして そこに出てくるエピソードのテキストが塩野七生さんのテキストだったら面白い。 ターン制のシュミレーションゲームだからゆっくりテキストも読んでいける。

 こうゆうところにも電子書籍のポジションがあるのではないか。 ちょっと奥まったところにある感じになるけど。 

電子書籍が話題になっていることもあって電子書籍をコンテンツ商品陳列棚の最前列に並ぶ顔のようにとらえてしまっていないか。(それだけが電子書籍じゃない)


 SNSがあって、SNSアプリとしてゲームがあって、そのゲームアプリのプラグインとして電子書籍がある。 つまり組み込まれて関連づれられた電子書籍。 (シンプルに.. シュミレーションと電子書籍)  これもありだろう。


 リアルタイムゲームじゃ難しい。 ターン制のシュミレーションゲームでないと。 ユーザーのインタラクションをまつゲームと電子書籍。 この組み合わせ、どうかな...



 ソーシャルゲームを通してテキストがものすごく読まれていく。 佐々木氏の言うソーシャル読書とは こうゆうスタイルなのかもしれない。 本という形は見えない。 まとまった形のテキストが結果的に本一冊分読まれて、その時点で電子書籍なんだと。 (だから やっと本を一冊読み終えたよぉー という感覚もないし、また本のお勧めかぁ.. という重い感覚もない)

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facebookの本名

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 すぐに本名を出すのがいやだったら、2年に一文字づつ出していってもいい。

たとえば、中山一郎だったら、一郎は先に出しておいて中山を "な" "か" "や" "ま" と7年かけて出していく。

最初の2年は Ichiro Na 。 3、4年目は Ichro Naka 。 5,6年目は Ichiro Nakaya 。 

7年目にしてついに Ichro Nakayama 。 本名が7年目にして明かされるという... ...

 検索窓上では1年目も7年目も同じだけどね.. インクリメンタルだから。


 長ったらしい名前なんて打ち込むのもめんどくさい。 湯川氏は鶴(tsuru)。 梅田氏はモチ(mochi)。 それが本名。

それにしてもfacebook のあの検索窓はよくできている。 キビキビ人が出てくる。 このへんの技術なんだろうな。


 そういえば来年 facebookアプリに ソーシャル型のシビライゼーションが来るらしい。

‘Facebook用"Civilization Network"は2011年リリース’ -


シビライゼーションとは (参考)

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sns

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 facebook の進攻と言ったところで ユーザーにとって意味があるのは、有意義な出会いであり、勉強になる人へのお近づき。 mixi の牙城は強固だとかfacebook は流行らないとか そんな勢力争いはユーザーにとってあまり関係がない。

 また、ある時期 注目していた相手でも 時間の経過とともに興味がなくなったりする。 つながったり切れたりして動いている。


 梅田氏の考察に興味がなくなって久しい。日本とシリコンバレーを股にかけるBetween橋も霧の向こうに霞んでしまった。

 ... と思いきや、


>> 「インターネットとはそもそもグローバルなものなのだ」という常識があります。しかし、その常識から離れて虚心にウェブ進化の現実を眺めたとき、インターネットが広く人口全体に普及する段階においては、ローカル性がグローバル性を凌駕するのがむしろ自然だと考えるべきだろう。徹底的にグローバルを志向するムーブメントのほうをこそ「特別なもの」と見る必要があるのではないか。次第にそう考えるようになりました。 (梅田望夫) <<


 ムムム、興味がわきますねー。 -

ほー、ここにきてオープンエデュケーションとな..

 facebookをこのオープンエデュケーションと考え合わせたなら、snsの文脈もまた違った文脈になるのかも..


 "[コラム]メタ・ユニバーシティとクラウド・カレッジ" ... なんと..

 "オープン・テキストブック" ... ははーん、このあたりから佐々木氏は ソーシャル読書とか言ってんだな。



 梅田氏のブログエントリーについたコメントより、


>> さて、最初の話題に戻ろう。p.76まで読んだが、オープンエデュケーションというものはどうも試行錯誤の段階のような気がする。eラーニングには基本となる仕様があるようである。しかし、これがリナックスのようにオープン化されていないようである。これを早くしなければならないのではないだろうか。私の専門は社会科教育である。そして私なりに考えた事、そしての成果である教材をデジタル化して、このブログで発信してきた。デジタル化しているので、オープンエデュケーションの基本仕様が策定されれば、その仕様にしたがって、再作成が可能だと考える。 <<


 さっそく反応あり。 社会科の先生らしい。

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Re: ‘ソーシャルメディアをコメント付きでまとめてストーリーを作ることができる 『Storify』’

facebook のノート

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 facebook にノートってある。 あそこ以外とポイントじゃなかろうか。

ニュースフィードのところで つぶやきとか いいね! なんかをやるより ノートのところでそこそこ読めるコラムとか 何かのまとめみたなのを書いた方がいいのでは..  どのみちfacebook も広がってくることだし。

 キャフキャフするより、しっかりしたものを書いた方がいいと思ってきた。 ツイッターの逆を行って 内容をぎっしり詰めこむことをした方が面白い。 (そんなに内容あるわけじゃないけど..)

 そう考えるならfacebook いけるよ。 ミクシー、ツイッター の延長線上で考えるんじゃなく。 

 よしっ、俺はその線でいくよ !!


 画像もノートとできるだけ関連させる。 図解イラストやチャート、マインドマップ。 数枚まとめることができるアルバムを有効に使う。 (ただノートにはfashとかは表示できないみたい)  テーマに関係した意味合いのある画像。 あるいは逆に 画像にあるものをモチーフとして そっちからノートの方へ。


 "フェイスブック同時オン会" のamachan でさえノートは何も書いていない。 キャフキャフやってるだけ。 いいぞ、まだ気がついていないな。 ノートのところに ちゃんとした内容のものを書くとどうなるか、ですよ。

 facebookサイトということと、つながってくる人の傾向とかがあるから ブログに書くのとはまた違ってくると思う。 ブログやミクシーに書くのと何が違うの? という見方も確かにあるのだけど..


 ここでこそ キュレーターやるべきでは..  佐々木氏の言うキュレーターは確かに現れてくると思う。 ただそれがどこに現れてくるのか.. (NEVERまとめ、あそこもキュレーターって言ってた)


 まぁしかし、ベースはsa.yona.la に置いて、というスタンスだけど。


.......

参考 :

● "フェイスブック同時オン会" のamachanさん(facebook) -

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ソーシャル読書

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g8upt5j9

 ソーシャル読書とな...  電子書籍のページとページの間に細線枠だけの透明ページを挟めないものか。 メモとか添付画像用に。

 たとえば、10ページめと11ページめの間にページを挟めば 10.5ページとか...

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